キャロリン・サンプソン インタビュー期間限定公開!

11月21日(土)の第115回定期演奏会に登場する、歌姫キャロリン・サンプソン。今回は特別に2005年に第70回定期演奏会プログラムに掲載されたインタビューを期間限定で公開いたします。第115回定期演奏会プログラム(会場にて販売)には新たなインタビューも掲載されていますのでどうぞあわせてお楽しみ下さい。

キャロリン・サンプソン インタビュー
インタビュー・構成 後藤菜穂子

いつもまわりに歌が 

――歌を始めたきっかけについて教えてください。
小さい頃から、いつでも歌っている子供だったんです。学校でも、たとえば物理の授業中でも、いつも歌を口ずさんでいました。つねに頭の中にメロディーがあったのです。その頃は特にクラシック音楽というわけではなく、ポップスが大好きで、ポップス歌手になりたいと思っていました。でも、10歳ぐらいのときに学校で歌っていたら、誰かに「あなたの声はきれいすぎるから、ポップスは歌えないわよ」と言われ、たいへん傷ついたことを覚えています。それでポップスはあきらめました(笑)。そのうち学校や教会の合唱団で歌うようになったのですが、いつもソロが歌いたくてうずうずしていて、機会があれば歌わせてもらっていました。

――ご家庭はどんな環境でしたか?
両親はふたりとも数学の教師ですが、母は私が小さな頃、よく一緒に歌ってくれました。家系をたどれば音楽家もいたようです。たとえば父の祖父母はミュージック・ホールの歌手でしたし、また母方の家族も音楽好きで、家にはつねにピアノがあるという環境でした。

――音楽を習い始めたのはいつですか?
6歳でピアノを始め、11歳の時にヴァイオリンも習うようになりました。ピアニストになりたいと考えたこともありますが、今思えばそこまでの実力はなかったですね。ヴァイオリンは大して上手くありませんでしたが、オーケストラで弾くのはいつも楽しみでした。
その経験は今の私にとって役に立っていて、共演する器楽奏者からオーケストラで弾いていたことあるの、と言われることもあります。たぶん、器楽奏者の耳で音楽を聴けるので、それぞれの楽器が何を弾いているか、またどんなところが難しいかなど、より理解できるのだと思います。

――最初の声楽のレッスンはいつでしたか? その時にはすでに歌手をめざしていたのですか?
16歳の時です。この時点ではまだ歌手になろうと決めていたわけではありませんが、でも人前で歌いたいとは思っていました。それでこの頃から地元の「ユース・オペラ」に参加するようになりました。これは毎夏、4週間集中的にオペラに取り組むコースで、3週間の練習を経て、最後の1週間に公演を行ないます。これは私にとってすばらしい体験でした。
大学進学を決めるときには、たぶん音楽の先生になるだろうと思っていたので、一般大学(バーミンガム大学)の音楽学部を選びました。

――「ユース・オペラ」での活動についてもう少し教えて下さい。
私の参加した最初の年は《ダイドーとエネアス》で、1行ぐらいしか歌わない役でしたが、年々大きな役をもらえるようになりました。7年間参加したのですが、《魔笛》の夜の女王、《こうもり》のロザリンデ、《カルメン》のミカエラ、最後の年に《フィガロの結婚》のスザンナを歌いました。今でもときどき観に行くのですが、200〜250人収容のとても小さな劇場なんです。でも、当時の私にとってはまさに大舞台だったのです。

――その後、古楽を歌うようになったきっかけは何でしたか?
大学1年のときに、バーミンガムを拠点として活動している「エクス・カシードラ Ex Cathedra」というセミ・プロ(学生とプロが混ざっているという意味で)の合唱団に入りました。この合唱団は古楽を中心に、現代音楽まで幅広いレパートリーを持っていますが、ちょうどその頃はフランス・バロックの合唱曲を多く取り上げていたので、その魅力にすっかり取りつかれました。これが古楽を歌うようになったきっかけで、たいへんよい勉強になりました。
もうひとつ私にとって大きかったのは、この合唱団の指揮者であるジェフリー・スキドモアが、私に「君は歌手になれるよ」と励ましてくれたことでした。それから歌手になるということを本格的に考えるようになりました。

――それからどのようにキャリアを築いていかれたのですか?
まずいくつかオーディションを受けました。指揮者ハリー・クリストファーズのオーディションを受け、20歳のときに初めて彼のグループ「ザ・シックスティーン」で歌いました。大学を卒業した年(1995年)には、一年間同グループの仕事をし、そのうちにいろんな人と知り合い、仕事の誘いを受けるようになったのです。ロンドンの古楽のネットワークはけっこう狭いので、やがてほとんどのグループと歌うようになりました。

ソリストへの道のり

—とくに古楽の歌手で大きな影響を受けた歌手はいますか?
師事した先生という意味ではいません。学生時代に聴いていた歌手は、私の持っていた「ザ・シックスティーン」の《主はわが主に言われた Dixit Dominus》のディスクで歌っていたリン・ドーソン(Lynne Dawson)、 リンダ・ラッセル(Linda Russell)、マイケル・ジョージ(Michael George)ですね。大学に入ってからもう少し知るようになると、キングス・コンソートのペルゴレージ《スターバト・マーテル》の独唱を歌っているジリアン・フィッシャー(Gillian Fischer)が好きでした。今回、この曲をちょうど歌うわけですが。
でも、私がもっとも大きな影響を受けた歌手は、カウンターテナーのジェイムズ・ボウマンです。彼と一緒に歌い、一緒に舞台に立つことを通して、多くのことを学びました。たとえばどうやってリラックスするか、間違えてもあせらないこととか、演奏会後に会いに来るファンやお客さんにどう対応するか−−それも歌手としての仕事の一部なのだということを教わりました。
それからアルト歌手のキャサリン・ウィン・ロジャーズからも、舞台での立ち居振る舞いを学びました。彼女がソロを歌うのを、合唱で歌いながら観察していたわけですが、その意味でも合唱で歌うのはよい経験になりました。

――ソロ歌手としての初舞台はいつでしたか?
最初にソロを歌ったのはキングス・コンソートとでした。彼らとの初仕事は、たぶん1997年の「ヴィヴァルディ・シリーズ」のCDの第3巻(ハイペリオン)で、合唱での参加だったのですが、その後モンテヴェルディの《聖母マリアのための晩課》で、初めて小さなソロのパートをもらいました。この頃には「ザ・シックスティーン」でも合唱を歌いながら、小さなソロをもらうようになりました。私だけの大きなソロを歌ったのは、キングス・コンソートのヴィヴァルディ・シリーズの第7巻で、すてきなカンタータ「しもべらよ、主をたたえよ Laudate pueri」RV 601でした。
さらにプロの公演において、合唱席からではなく、初めて独唱者として舞台の前でソロを歌ったのは、2000年1月、キングス・コンソートとのバッハ《ロ短調ミサ》でした。何よりも、それまで一緒に歌っていた仲間の歌手たちの前で歌うことに緊張したのを覚えています。

――これまでロバート・キングをはじめ、ハリー・クリストファーズ、フィリップ・ヘレヴェッヘ、最近では エマニュエル・アイムなど、多くの指揮者/グループと共演してきましたが、それぞれの特徴について少し教えて下さい。
う〜ん、難しいですね。私は最初からイギリスの古楽グループで育ってきたので、キングス・コンソートやガブリエリ・コンソートなどでは、仲間と歌っているという感覚なんです。ロバート・キングは私に好きなように歌わせてくれますね。それにくらべて、ヘレヴェッヘは注文がはっきりしていて、どんな音色がほしいとか、どの音にヴィブラートがほしいとか、指示があります。エマニュエル・アイムはとても情熱的で、音楽についてひじょうに強い考えをもっていますが、同時に歌詞も重視します。また、いつも歌手からベストを引き出そうとして、たとえばアリアのダ・カーポ部分の装飾をすべて書いてそれぞれの歌手に渡したりもします。もちろん、こちらの意見もきいてくれますが。

――まだBCJとは2回の共演ですが、これまでの印象はいかがですか。
最初に共演したのは世俗カンタータで、合唱がなく、オーケストラも各パート一人ずつだったので、典型的なBCJ体験ではなかったと思います。でも初めに何人かの中心メンバーと知り合えたことで、2度目の共演はやりやすかったです。雅明さんとBCJとは、これからお互いにもっと関係を深めていくところですが、何よりも雅明さんの音楽に対する愛情が強く感じられ、私たちはみんなそれに反応するのだと思います。

――ご自身の声はどんなタイプだと考えていますか?
(笑いながら)「とにかく口を開けてうまく歌えることを祈る」というタイプの歌手でしょうか!最近までテクニック的なことはあまり意識してきませんでした。
私にとって幸いだったのは、声楽の先生たちが私の声を無理に変えようとしなかったことです。もともとあまりヴィブラートのかかっていない声で、声量もそれほどなく、とにかく自然な声でした。プロの歌手になってからは、おのずと声の質も変わり、成熟、発達してきました。大きな会場で歌うことによって声も自然に大きくなるのか、あるいは大きな空間で歌う感覚を覚えるからでしょうか。でも、その時々の声に合った仕事や役をもらってきたと思います。
ただここ数年、難しい曲を歌うようになるにつれて、テクニックを確立する必要性を痛感するようになりました。たとえば今年イングリッシュ・ナショナル・オペラで歌ったヘンデルの《セメレ》は技巧もスタミナも要求され、こうした役を歌うためにテクニックを身に付けてきました。

――《セメレ》はどんな役で、どんな難しさがありますか?
これはジュピターに恋をしてしまう人間セメレの悲劇を描いた作品です。セメレの役は技巧的に難しい一方で、さすがヘンデルだけあって声のことを考えてうまく書かれています。第1幕では歌う場面はあまり多くなく、とくに2曲目の有名なアリア「Endless Pleasure」は声のウォームアップにちょうどよい曲です。実際、それ以来、声の調子が今ひとつだな、と思う時にはこの曲を歌って、声の感覚を取り戻すのに使っているんです。第2幕はジュピターとのベッドシーンもあって、舞台にはかなり出ているのですが、大きなアリアはありません。それが第3幕に入ると、わずか30分位の間に5つのアリアを歌い、そのうちの2曲はひじょうに本格的なコロラトゥーラ・アリアなのです。

――特定の練習法を実践していますか?また運動はしていますか?
特定の練習法はありませんが、声楽コーチに毎月1回など、なるべく頻繁にみてもらっています。また声楽の先生には年に3回ぐらいレッスンに行っています。
運動はジムに通ったり、ジョギングをしたりはしていますが、これは声のため、というよりは太らないためです!もちろん、オペラを歌うときには役に立ちますが。あと、山歩きが好きなので、次回の来日では、時間があれば富士山に上ってみたいと思っています。

バッハ、ヘンデル、そしてオペラへの挑戦

――キャロリンさんは特にイギリスではヘンデルをたくさん歌っています。バッハとヘンデルの音楽の違いについてはどのようにとらえていますか?
ヘンデルの音楽は華やかで、歌うこと自体が喜びです。ヘンデルの場合、声そのものが主役で、歌手のための音楽といえると思います。もちろん、それはヘンデルの音楽が、宗教音楽も含めて、エンターテインメントとして書かれたという背景に関係していると思いますが。
それにくらべてバッハの音楽は秩序があって、より器楽的だと思います。歌手であると同時に器楽奏者であることが求められ、歌手と器楽奏者の違いは歌詞の有無だけなのです。バッハを歌う上でとくに難しく感じるのは、息継ぎですね。バッハの音楽にはしばしば息継ぎの場所がなく、その意味でも、器楽的なのかもしれません。またバッハを歌う場合、特に若いうちは、もっと上手く歌おうとしてがんばりすぎてしまう傾向があるように思います。実際私もそうだったのですが、ようやくここ2年ぐらいでしょうか、バッハの音楽そのものの力を信じて、肩の力を抜いて歌えるようになりました。

――バッハの音楽、あるいはカンタータで特に好きな曲はありますか?
《マタイ受難曲》を挙げないわけにはいかないでしょうね。カンタータはあらゆる色彩と響きがあり、それぞれ異なったすばらしい曲ばかりですが、ガンバの入った葬送歌《侯妃よ、さらに一条の光を》(BWV 198)が特に好きです。

――ヴィヴァルディ、ヘンデル、バッハ、最近ではモーツァルトも歌っていますが、作曲家によってどのように歌い方を変えていますか?
私がもっとも大事にしているのは、まず歌詞に反応することです。その上で、その作品の様式を考えます。たとえば、モンテヴェルディとヘンデルでは装飾の付け方が違いますよね。その組み合わせで歌い方を考えます。ヴィブラートに関しては、ヘンデルやモーツァルトにくらべてバッハの場合のほうが少なめに歌いますが、それは楽器に合わせたいからです。またバッハのような教会音楽では「声」が主人公ではないという理由から、装飾も控えめにします。

――最近ではオペラにも取り組んでいますが、今後はどんな予定ですか?
次はフランスのモンペリエで《フィガロの結婚》のスザンナを歌います。将来的には、コンサート活動とオペラを半々ぐらいにやっていければと思っています。でも少なくともイギリスではオペラ歌手とコンサート歌手の世界ははっきり分かれているので、私がオペラの世界に入っていくためには、オーディションを受けて役を勝ち取らければなりません。これまで主としてイングリッシュ・ナショナル・オペラで歌ってきましたが(《妖精の女王》、《魔笛》、《セメレ》など)、これは以前ハリー・クリストファーズがモンテヴェルディの《ポッペアの戴冠》を指揮した際に、オペラ座側を説得してくれて、アモーレの役を歌った時以来の縁なのです。
私にとってオペラの魅力は、「歌うこと=しゃべること(Singing is speaking)」ということです。すなわち舞台では、歌うことでしゃべっているわけですよね。それが何と言っても楽しいです。

――キャロリンさんにとって歌うことはしゃべることと同じぐらい自然だということなのでしょうね。特に歌ってみたい役はありますか?
今はヘンデルとモーツァルトが私の声に合っていますね。今度歌うスザンナはぴったりだと思います。ヘンデルのオペラではパルテノペの役を歌ってみたいです。それ以外では、《こうもり》のアデーレとか、軽いソプラノの声の少女っぽい役柄ならなんでも挑戦してみたいですね。

――いずれ日本でもキャロリンさんの舞台姿が観られるのを楽しみにしています。ありがとうございました。

(2005年7月11日、ロンドンにて)